郷里マキノ町のメタセコイア並木は週末の晴れた日には観光客で混雑する一大観光地となりました。前川則彦さん(マキノ町出身/在住・昭和39年卒)がこのメタセコイア並木の素晴らしい動画を製作されました。
高島市のホームページにも掲載されていますが、こちらから是非ご覧下さい。
高島city.jp (高島市ポータルサイト) http://takashima-city.jp/
地区便り
今津町深清水を中心に、約25㌶の柿畑がつづき、11月にはいると収穫のピークを迎えています。今津町では、岐阜の養蜂家が柿の苗を持ち込んだと言われ、大正時代から始まりました。本格的には戦後になります。10月初旬の「西村早生」、中旬の「平核無柿」「松本早生」、11月から12月上旬にかけて「富有柿」と品種により収穫時期が続きます。 ご存じでしたか? 深清水あたりは富有柿の北限地だと言われています。今津では甘柿の品種が、隣の福井県今庄あたりでは渋柿が混ざるとか。寒暖の差が大きいことが、甘みのあるおいしい柿につながり「今津の柿」を指名してくださる方も増えています。 一年かけてこまめに世話をし、手入れしてきた柿が、ようやく実りました。(今津)
毎年、湖西最の初春祭りである川上祭が4月18日、今津町平ヶ崎馬場で行われました。囃子やサンヤレなど、古くから祭りの様式を伝える民族資料として評価も高く、昭和63年には県の無形民俗文化財に選ばれています。 祭は、酒波の日置神社と北仰の津野神社で、長さ約20メートルの大幟〈おおのぼり〉2本と神輿が輪番でだされます。中間のお旅所の馬場に向かい、大幟と子どもが持つ小幟が待つなか到着し、神輿渡御、流鏑馬、大幟巡行、サンヤレ踊りと続きます。囃子の「サンヤレ」は、古代日本人の習俗で、身辺に生ずる悪霊を恐れ、起こる罪を逃れようと、祖先の善霊に助けを求め祈ったとされ、「サン」は「さあ」、「ヤレ」は「はらえ」にあたるといわれています。また、「幸いあれ」「山野に礼」の意味もあるともいわれています。 子どもたちは、小幟を激しく野に叩き、飾りを地面に落とします。 今年は、前日の天候とうって変わっての快晴のなか、大太鼓や小太鼓、鐘で囃す化粧した子どもたちと“サンヤレ”の掛け声が山野に響きました。 (今津)

国内南限のザゼンソウ自生地として知られる「今津のザゼンソウ群落」は、2月にはいり残雪の中から多くの顔を覗かせています。 群生地は、1981年に今津中学の生徒が理科授業の観察時に発見しました。環境庁の自然環境保全基礎調査の特定植物群落に選定。滋賀県自然環境保全条例の緑地環境保全地域に指定(1989年)されています。 饗庭野からの湿地帯に、高密度に広く群生しています。 今津町弘川という、「えっ、ここに~」と思わせる竹林の中に、広がっています。実は、ここへは豊富な饗庭野からの伏流水が流れ、湿地を形成しています。今年も3月10日に「今津ザゼンソウまつり」が開らかれるなど、カメラ片手に多くの見学者で賑わっています。
高島市畑地区の15.4haに、傾斜に逆らわず幾何学模様に広がる棚田。畑の集落は朽木に接し、標高300m~400mの山腹にすり鉢状に広がる棚田に見守られるよううに家々が点在しています。
その昔、棚田は山頂付近まで連なり、実りの秋には静かな山里を黄金色に変えたとも言われています。棚田は生態系の維持に大きな役割を果たし、維持・保全への取り組みとともに景観的にも”日本の原風景”と高く評価されています。
農林水産省より、平成12年に全国の134地区の1つとして滋賀県内で唯一「日本の棚田百選」に指定されました。
今日も棚田オーナー制度や棚田を活かした農家民泊などの活動で都市との交流が行われるなど、積極的な保全活動をされています。
安曇川便り
安曇川町内の旧制今津中学校卒業生で構成される同窓会から
金677、601円の寄付金をいただきました。
このお金は藤本昭男(旧今中第21期)先生、河合真善(旧今中第18期)先生らを
中心に藤棚の設置などで活動しておられた残金で、そのメンバーも少なくなり、平成になってからは活動しておられませんでした、そこで藤蔭会に寄付をしていただきました。
早速心の教育基金に受け入れて、今年の事業である教室の自習室改造資金に使わせていただきました。寄付していただきました会員の方々に感謝申し上げます。
戸次威左武 記